今回は、6月14日にCourtyard Seattle Bellevue/Downtownで行われたジェイムズ・スパーンさんの講演会レポートです。この講演会はOkaeli Suite様、Mariko Mitsui John L. Scott様、JTB USA シアトル支店様、Ibuki Magazine様、コスモス歯科様、Ecore Global様、Bellevue Children’s Academy様にスポンサー協力していただいて行うことができました。スポンサーのみなさま、本当にありがとうございました。
この講演会はジェイムズさんの過去を振り返る形で始まりました。若いときから、おふざけが大好きというジェイムズさん。幼少期はお父様が米軍に勤務していた影響で、転々と引越しを繰り返していたそうです。お母様が日本人ということも、幼少期に日本に住んでいたということも影響して、大学在学中に早稲田大学に留学。その後、様々なネットワークを通じてセガで3年間、ゲーム開発者として日本で勤務。声をかけてもらい、日本で7年、アメリカで3年Microsoftに勤務。しかし、一生懸命生きるというジェームズさんの人生のテーマの中で、株をもらって生活していれば、現状維持でいい生活が送れる。でも、人生はお金ではないし、楽しさや自分の幸せにはつながらないと考え、次の職が決まっていないにもかかわらず、奥様と相談し、10年Microsoftに勤務するともらえる、Microsoft社の株を10株もらった一週間後に退職を決断したそうです。
ケータイでゲームをする習慣を作ったのはドワンゴ?!
1995年、川上量生氏(現ドワンゴ代表)が、日本Microsoft社に乗り込み、「IBS(川上氏が当時勤めていた会社)がなくなるから、明日から無職になります」と報告。しかし、Microsoftとしては、IBSのサービスがなくなるのは痛手。ということで、その場でIBS社のアメリカの株主を電話で説得し、ライセンスを受け、数ヶ月後に川上氏が中心となりドワンゴという会社を設立。その当時、ケータイですることは電話とメールだけでしたが、ドワンゴは「釣りゲーム」を提供。魚が釣れると、振動が起こる、いつ震えるか分からないという部分が当時は新しく大成功を収めます。それと同時に、テレビコマーシャルなど広告を広く展開し、ドワンゴという社名の認知度が上がります。その後も「業績は右肩上がり、でも次の新しい事業に挑戦していく」ドワンゴは、着メロの分野に進出し、成功を収めていきます。この成功を、ジェイムズさんは「柔軟性が高かったから」出来たと分析しています。
ソーシャルメディアと映像の融合
アメリカの市場でも近年にはテレビで映像を見る人と、オンラインで映像を見る人が半々になるとの予測が出ています。今となっては、普及しているのが当たり前に感じるインターネットやSNSですが、7年前は、日本で流行したmixiはまだ無名でした。そんなときに、ドワンゴはソーシャルメディアと映像を融合させるという画期的なアイディアでニコニコ動画を市場に提供しはじめます。
ニコ動の影響力は無視できない!
今年で三回目を迎えたニコニコ超会議。安倍総理や各政党の登場や、各映像配信局が、ニコ動にチャンネルを開設するなど、ニコ動を中心に今の若者にどうアピールする、メッセージを届けている。これは、映像でありながら双方向性のあるニコ動だからできること。日本では蓮舫議員の「2位じゃだめなんですか?」という発言で話題となった事業仕分けの生放送時には、事業仕分けの様子を全て放送しているニコ動から記事を書くメディアが出ることで、それまでは競合相手だった企業が、どうやって協力していくかという風にマインドが変わっていきます。
宇宙へのこだわり
また、宇宙や飛行機に思い入れのあるジェイムズさんは、半年ほどNASAに働きかけて、生放送の許可を得ます。さらに、毎日新聞の番組欄を購入し、24時間生放送の広告を出します。これにより、ニコ動が放送企業として認知されるようになっていきました。
これからについて
ジェイムズさんは常に自分の商品をどうよくしていくかということを考え、それにプラスして、世の中の変化に対応することや、自社製品のライバルは新しい自社製品だという考え方をしているそうです。また、これからはイベントに参加するなどして、社会に貢献していくことを考えているそうです。世界は狭くなっている、でも人とコミュニケーションをとることを大切にすること。一生懸命生きること、今ある時間と周りにいる人を大切にすることを大切にしてほしいというジェイムズさんのメッセージが込められた講演会となりました。
講演会の次に行われたワールドカップサッカー観戦会のレポートは北米報知のサイトにあります。
次回は8月4日に古川亨(すすむ)さんの講演会を行います。ぜひご参加ください。